鉄道ファンじゃなくても憧れる列車があるって、あなたはお分かりになりますか?
それは天皇陛下など、皇族が乗車する「お召し列車」ですよね。
この列車は、各鉄道会社が管理しているんです。
例えば、JR東日本にはE655系『なごみ(和)』があります。
平成19年に、2代目の「お召し列車」として登場しました。
列車中間には、両陛下や国賓の方々が乗られる「特別車両」があるんですね。
この車両の、高さ95センチ、幅220センチと言う大きな窓ガラスには防弾加工が施されてます。
それ以外の車両の内装は、明るい木目調で統一されています。
席に電動のリクライニングシートが備えられ、タッチパネル式のモニターも装備されているんですよ。
モニターではテレビや前面展望など、映像が見ることができます。
これは、東北新幹線や北陸新幹線にある、最上級の車両「グランクラス」にもない、
「お召し列車」だけの特別仕様なのです。
このE655系、皇室とその関係者しか乗車できないと世間では思われているのですが、
実は一般の人でも乗ることができるんです!
JR東日本の広報担当によると、E655系は「なごみツアー」と称して、団体専用列車としても運用されています。
ただしこの場合、特別車両や菊の御紋は外されます。
今回は、このお召し列車の魅力について、詳しくお話ししましょう。
憧れのお召し列車になれる運転士は、優れた運転士の中の運転士!?
ところで、この列車を運転する運転士は、どのような人が選ばれるかご存じですか?
お召し列車の運転士は、優秀なベテランの運転士が選ばれます。
もちろん技能優秀だけではありません。
戦前に運転士をしていた松井虎太郎氏によると、
「健康と血統についても厳重な調べがありまして、近親に脳に病気のある者はないか、血圧は正常か心臓病はないか、それらがすべてよろしいとなって、いよいよ本決まり(中略)この時は大阪の新聞に私の名が出ました」
とあるように、運転士の親兄弟も調べられた上で、突然死のリスクなども厳重に調べられたようです。
また、お召し列車の運転士は、客車に振動を与えてはいけないことになっています。
出発するときはすべるように発車し、停車もいつの間にか停まっていると言う風に、しかも天皇の通路に敷かれた絨毯から、数センチもずれてはいけません。
列車に振動を与えない、ピタリと停止位置に止めるなどのルールは明文化されている訳ではなく、いつ頃からそうなったのか、残念ながらそれは分からずじまいのようです。
運転士だけでなく、幹部も含め現場の鉄道員も緊張を強いられますが、天皇から労いの言葉をもらう場も用意されています。
こちらはかなり、細かくマニュアル化されています。
国鉄運転局列車課が昭和46年に作った、「お召列車運転の手引」から要約します。
・服装、白手袋着用、帽子を右手に持つ。
・隣の車両から御料車に入る。
(御座所入り口に近づくと陛下のお姿が見える)・次室を通り、御座所入り口で、
正面に向かって軽く敬礼をする。(1回)・さらに2~3歩進んで
正面に向かって最敬礼をする。(1回)・陛下からお言葉がある。
・お言葉が終わったら、そのままの位置で
正面に向かって最敬礼をする。(1回)・後ずさりして御座所入り口まで戻り、
正面に向かって軽く敬礼する。(1回)・1~2歩後退して次室に入り、
向きを変えて退出する。
この時の陛下のお言葉は、通常「このたびはご苦労であった」であり、お言葉に対する返事はしないのだとか。
「正面に向かって敬礼又は最敬礼」をする場合、お並びになっておられる両陛下の中央に視線を向けて敬礼をするこで、両陛下別々に2度敬礼はしません。
お召し列車のあまり知られていない新幹線秘話2つ
お召し列車には、新幹線に関わるエピソードがあります。
今回は、そのうちの2つをご紹介します。
1.天皇はスピード狂だった?!
昭和天皇が初めて新幹線に乗車したのは、開業から半年余りの昭和40年5月7日です。
鳥取植樹祭行幸のため、新大阪まで乗車されました。
新幹線には御料車両はないので、1等車を利用したんだそうです。
浜名湖から蒲郡付近まで運転席で、東海道新幹線支社長から説明を聞きながら、前面展望を楽しんだと言われています。
お楽しみの様子に、運転士は速度を下げるに下げられず、その先で時間調整に苦労したエピソードも残っています。
昭和天皇ほど、この速度向上を実感できた日本人はいないでしょう。
大正から昭和初期にかけては、東海道を下るにも静岡や名古屋で、1泊するのが普通だったようです。
昭和17年の戦勝祈願列車の東京~京都間は、8時間10分も掛かりました。
戦後になりさらに所要時間が短縮されましたが、それでも昭和37年10月19日の、原宿~京都間7時間と言うのが最短です。
昭和天皇を乗せた新幹線は、東京から新大阪までたった4時間で走りました。
この時、昭和天皇は歌を2首残しています。
「四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし」
「避け得ずに運転台にあたりたる雀のあとのまどにのこれり」
まだ雀も、新幹線の速さに慣れていなかったようですね。
2. お召し新幹線が作られない理由とは?
大正時代には天皇が一般列車に乗ることもあり、その列車めがけて人々が我先に殺到した、と言うエピソードが残されています。
戦後は新幹線が走る時代になって、昭和天皇と一般客と同じ列車に乗る、「混乗」が実現しました。
昭和39年10月1日、東京~新大阪間に東海道新幹線が開通。
開業式にも臨席した昭和天皇が初めて新幹線に乗車したのは、翌年のことです。
この時、供奉車4両・御料車1両、全部で8両編成でした。
2度目は41年4月15日で、供奉御料の両数は変わらないですが、全体は12両編成でした。
昭和42年に宮内庁と国鉄が打ち合わせた結果、「御専用車以外の車両は、一般旅客に開放する」ことになりました。
しかしこの列車は「時刻表」に載っていないため、切符の売れ行きが良いはずがなく、事前に切符を予約したのはわずか7人。
しかもこの人たちに付いては、警察が身元調査をしたと言う話もあります。
この頃、国鉄内部には新幹線用にも御料車を作ってはどうかという声があったようです。
しかし、年に数回しか使用されないと想定される車両を作るのは不経済です。
結局、新幹線御料車の話は消えました。
まとめ
■E655系はツアーなど、団体専用列車としても運用されている。
■お召し列車を運転する運転士は優秀なベテランの運転士が選ばれるが、親兄弟も調べられた上で突然死のリスクなども厳重に調べられた。
■昭和天皇がお楽しみの様子に、運転士は速度を下げるに下げられず、その先で時間調整に苦労したと言うエピソードも残ってる。
■お召し新幹線が作られないのには、ちゃんとした理由がある。
あこがれの「お召し列車」。
もしもあなたが乗車できた時には、このようなエピソードを思い出しながら当時の天皇陛下の気分を味わうのはいかがでしょうか?
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