日本のそばの歴史は古く、1万年ほど前の縄文時代からすでに、その栽培が行われていたと言われています。
今では、駅の立ち食いそばから高級店まで、冷たいものや温かいもの・天ぷら付きなど、いたる場所で様々な種類のそばが食べられます。
日本でもっとも気軽に口にできる食べ物、と言っても良いでしょう。
そんなそばですが、「もりそば」と「ざるそば」は本来同じものであるはずなのに、値段が違うことをご存じですか?
一見同じに見えるこの二つは、どんなところから値段に違いができているのでしょうか。
今回は、「もりそば」と「ざるそば」の歴史について調べてみました。
そもそも、もりそばとざるそばはどこが違うの?
「もりそば」と「ざるそば」は、一体どこに違いがあるのでしょうか?
まずは、「もりそば」と「ざるそば」の誕生から見て行きましょう。
「もりそば」はその昔、そばを団子状にしたものを焼いたり、蒸したりして食べる “蕎麦掻(か)き”と言う食べ方をしていました。
江戸時代中期になると、細く切ったものを茹でてつけ汁で食べる、お馴染みの食べ方が主流になりました。
この食べ方を、”そば切り” と言います。
やがて、汁を最初からかけた状態で提供する、今のかけそばと同じスタイルの、ぶっかけそばと言う形が流行り始めます。
この時にぶっかけそばと区別するため、麺をそのまませいろに盛って提供することから、もりそば(盛りそば)と呼ぶようになったのです。
「もりそば」が定着すると、やがてやがて蕎麦の実の中心部分のみの粉で作った白っぽい麺をざるに盛り、提供するスタイルが流行り始めました。
このざるに盛って出すスタイルを、既存の「もりそば」と区別するために、ざるに盛って提供することから「ざるそば」と呼ぶようになりました。
この「ざるそば」を最初に提供したのが、江戸の深川洲崎(現在の江東区木場の辺り)の伊勢屋と言われています。
伊勢屋では、竹ざるに盛ったそばを出すスタイルでしたが、当時の深川は江戸のリゾート地だったため、そのブランドイメージですぐ人気となりました。
やがて、江戸の下町のそば屋でも、伊勢屋を真似する店が増えて行きました。
そして、そば自体はもりそばと質は変わらないのに、ざるそばを高級なそばとして提供するようになったのです。
やがて、明治時代になると更に、「もりそば」と「ざるそば」を差別化するため、「ざるそば」のスタイルに変化が出始めました。
① 漬け汁に同量のみりんを加えてコクを出した
② 麺の上に揉み海苔をのせた
当時、みりんは贅沢品だったために、みりんを混ぜた漬け汁は濃厚で高級なものだったのです。
このようなつけ汁は、御前返しと呼ばれています。
値段の差に見合った分の材料の差で、一般に「ざるそば」の方が高いのです。
「もりそば」と「ざるそば」の違いは、ここまで明確なものだった訳ですね。
ざるそばは一人前の量が少ないと言われる事実
前項で述べたように、「もりそば」より「ざるそば」の方が値段が高いです。
一方で同じそばでもう1つ、「せいろそば」と言うものがあります。
本来の「せいろそば」はせいろで蒸して、暖かく湯気が立った状態でお客さんに提供されていました。
そばは茹でると切れやすいので、蒸すと言う方法が考えられたのです。
しかし、現代の「せいろそば」は、単にせいろで出すそばをこう呼びますね。
で、江戸時代の天保時代の頃、そば屋は幕府に値上げを要求したのですが、却下されてしまいます。
その代わりに器(うつわ)の底上げをして量を減らすことが認められ、すのこを使って底上げをしたせいろに盛って提供されました。
これが、「盛りせいろ」と呼ばれ後に「せいろそば」となったものです。
「せいろそば」と「ざるそば」は、現代では素材や製法に違いがなく同じ物なんですが、実際に量が少なくなっているだけなんですね。
まとめ
■「もりそば」はその昔、そばは団子状にしたものを焼いたり、蒸したりして食べる蕎麦掻きという食べ方が一般的だった。
■蕎麦の実の中心部分のみの粉で作った白っぽい麺を、ざるに盛って提供する「ざるそば」が流行り始めた。
■その後、値上げを拒否されたので器の底上げをして量を減らそうと、すのこで底上げをしたせいろに盛って提供されるようになった。
今では、せいろに盛り海苔を掛けた「ざるそば」が高級とされ、「もりそば」より「ざるそば」の方が値段が高くなっています。
同じそばでもアレンジが違うだけで、これほどまでに変化するのですね!
たかがそばのこととは言え、これを知っていると、明日から人に自慢できるかも知れませんよ。