誰にも人気のお寿司の中でも、助六寿司は巻き寿司やいなり寿司を折り詰めしたものであり、スーパーやコンビニなどでも良く見かけますよね。
助六寿司に使われている助六とは、実は歌舞伎から生まれた言葉であることをご存知でしょうか。
お寿司に使われている助六とは、
江戸時代に人気を集めていた歌舞伎十八番の「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」
と言う話が元になっています。
そこで今回は「助六」の名前の由来や、さらにその中身が決められた経緯などについて、見て行こうと思います。
行楽のお弁当にもおすすめな助六寿司の名前はどこから?
いなり寿司とのり巻きの詰め合わせのことを「助六」と呼ぶようになったのは江戸時代中期から。
その頃、歌舞伎宗家・市川團十郎家のお家芸として、今でも人気の歌舞伎十八番「助六所縁江戸桜」が大流行していました。
この話は、主人公の男が助六と言う侠客(きょうかく)となり、源氏の宝刀を探し出すため、吉原に出入りするうちに揚巻(あげまき)と恋仲になります。
揚巻とは、歌舞伎の女形で良く出て来ますが、この場合は花魁、つまり風俗嬢のことを指します。
その後助六は、吉原で豪遊する意休(いきゅう)と言う老人が探している刀を持っていることを知り、奪い返すと言うストーリーとなっています。
いなり寿司とのり巻きの詰め合わせ「助六」は、実はこの「助六所縁江戸桜」の通称から取られたものなのです。
助六寿司は、その素朴な味わいで今も多くの人に親しまれ、行楽のお弁当などでも良く見かける、日本を代表する味のひとつとなっています。
今さらながら、助六寿司の中身はどうやって決められた?
江戸時代には贅沢を禁止する倹約令が出されており、江戸前の魚を使った握り寿司に代わって、油揚げを使ったいなり寿司とのり巻きが江戸の人々に親しまれていました。
やがて、このふたつを詰め合わせた寿司折が登場し、油揚げの「揚げ」とのり巻きの「巻き」から「揚巻」と呼ばれるようになりました。
そして「助六所縁江戸桜」の主人公・助六の愛人である吉原の花魁の名前も、同じく「揚巻」という名前でした。
このつながりから、寿司の揚巻も歌舞伎の助六の人気にあやかるようにと、いつしか「助六」と呼ぶようになったのです。
その他、助六が頭に巻いていた紫のハチマキをのり巻きに見立て、それから愛人の揚巻をいなり寿司に見立てて、二つの詰め合わせを「助六」と呼ぶようになった説もあります。
また、この演目の幕間に出される弁当が、この寿司の詰め合わせだったと言う説もあります。
ちなみに、この助六寿司の巻き寿司ですが、関東ではかんぴょう巻きか太巻きといなり寿司の組み合わせが一般的。
関西では太巻きといなり寿司のセットと決まっており、そもそもあまりかんぴょう巻きは食べないそうですよ。
まとめ
今回は助六寿司の名前の由来、また中身が決められた経緯などについて述べて来ました。
今度、助六寿司を食べる機会があったら、ぜひこの由来について、誰かに話してみてはいかがでしょうか。